middleagedtweets’s blog

放言居士でやりたいな

はてなインターネット文学賞「わたしとインターネット」

 

 わが家にパソコンが届き、インターネットなるものを初めて経験したのは、もう二十数年前だろうか。大きなブラウン管のディスプレーに、家族も興味津々だった。NTTの回線の手続きだのプロバイダーの契約だの、訳も分からないことを延々とやり、揚げ句の設定がチンプンカンプン。それでもどうにかWEBの世界に飛び込んだ時の驚きは、いやいや参ったな。正直な感想だった。

 おりしも小学校でパソコン授業が始まり、末息子が「僕のホルダー作って。夏休みの宿題で、ビットマップでお絵かきするから」と言われた日には、おいおいやるじゃないか。そんな思いで出がある。でも今考えれば、当時のご家庭にそんなに普及しているわけでもなく、やられたな感があるが、彼が我が家で一番詳しいから、幼少期にさわるといういう行為は大切なのだと痛感する。

 気が付くと携帯電話が普及し、スマートホンが世に普及するやネット環境の普及は、十年程で様変わりした。線から電波へ代わった。Googleが登場し、SNSが普及すると、世界のリアルが手元に映される。たいていのことが、指先のスイスイで出来てしまう。そしてキャシュレス。おいおい。楽ちんすぎるぞ。お金の支払いまで便利過ぎて、戸惑いと抵抗を覚えるのは、私だけだろうか。

 以前無かった携帯に月額5千円で6千万人が利用すると、えっとえっと。月額3千億。年間に3兆6千億円。いやいや恐ろしい金額だ。通信会社の売り上げはもっとすごいのだから、可処分所得の行き先は大きく変わったことになる。一方で電気や電話機の製造販売にアンテナ基地なんかの設置といった経済活動と雇用を考えると、コロナ後の産業革命もうなずける。

 ただ人はやはりコミュニケーションの動物だと思う。会って顔を見ながら会話するから、信頼とか友情とか愛情が生まれるのだと。人々がいて社会が形成され、自治体や国家なんかが成立するのじゃないかと。どんな時代が来るのか想像できないが、これからの社会がリアルとバーチャル。会話とインターネットをうまく使える社会になることを願うだけだし、わたしもそうなりたいと思う。未来はかえることが出来るから。