middleagedtweets’s blog

放言居士でやりたいな

会話の多かった夏

 今年の夏は、落ち着かない夏だった。雨が続いたり急に暑くなり、近年の傾向をそのまま反映したようなお天気が、そんな気持ちにさせた要因の一つかもしれない。自然や社会現象?に一喜一憂しても仕方ないのだが、米中がどうだとか、韓国がどうだとか。遠い世界の話はいいにしても、いじめだの小さな子供が惨憺たることになると、なんだか気が滅入るように思う。

 そんな我が家も、小さなことがあった。一週間で老齢の母の様子が変わったのだ。隣の母屋から出かけなくなり、動作がだんだん緩慢になってゆく。まして鍋を焦がしただの、夢から覚めていないようなことを口走る。

「こりゃ弱ったぞ。お袋、頭が壊れてきたんじゃないか。」

そんな会話を妻とし、妹を読んで相談する羽目になった。何事にも動じない彼女も、参ったねの一言。

「今日なんか一緒にお風呂入ったら、下着つけてないのよ。お兄ちゃんどうするの。」おいおい突然俺に言ったって。オレも嫁も勤めがあるし、づっと付っきりは出来ない。舅姑を介護し送った百戦練磨にどうするの、だなんて突き放すのは勘弁しろよ。

 そんな結論の出ないまま、取りあえず近所の掛かり付けの老医師、柴田先生に診察をしていただいた。

「暑かったからね。夏バテかな。真子ちゃんお仕事はどうしてるの。」

「私昨年の秋義母を送ってからも、子供の事やで忙しくて何もしてないんです。」

「じゃぁあなたがしばらくの間、毎日点滴をしにお母さんを連れておいでなさい。年取るとね、水分取らないんだよ。脱水症状は若い人みたいに、口径摂取じゃ改善しないんだよ。」

そんな診断に本人も納得?し、しばらく間通院という事になった。

 それからは毎朝食事を自宅から隣の母屋へ持ち込み、3人で食べる。昼食は妹が一緒に取り通医院。夜は朝と同じことをし、僕ら夫婦は神妙に母が寝付くまで母屋で過ごし、普段やったことのない仏壇にも手を合わせ、座敷にかけてある祖父母やおやじの遺影を眺めたものである。そんな日が数日続いた頃、柴田先生から電話が鳴った。

「史郎君、いくらなんでもおかしいよ。認知だってこんなに早く進行するははずがない。今夜紹介状を書いておくから、明日の朝取においで。すぐに総合病院でいろいろ検査してもらいなさい。」

キツネにつままれたような状態で、「はい、承知しました」とだけかろうじて返事をしたものだ。

 果たして母と幼馴染で同級生の老医師の診断は、後で思えば神様のお告げのように思える。診断は頭を打って、硬膜に血腫が出来翌日の緊急手術。頭に二本のチューブが刺さった姿を見た時は、おいおいと思ったものだ。その後は日増しに普通に戻り、一月ほどで退院した。何事も無かった様に暮している。総合病院の担当の脳外科の先生に、よく気が付かれましたね。お年からして、見落とすところですよ。などと言われ、礼を述べるばかり。終わりよければ全て良し、である。

 ただ不思議に思うことがある。おかしかった三週間の記憶が、母には無いようだ。